『おかえりなさいませ』

『おかえりなさいませ』

 

襖を開けると、温かい部屋で、詩が畳に手をついて頭を下げている。

 

「ああ、ただいま、桜」

 

パッと上がった幼さの残る詩の顔は笑顔で、信継を見上げ、嬉しそうに微笑んでいる。

 

ーーかっ…かわっ…!!

 

思わず鼻血でも出てないかと、信継は鼻を押さえた。

 

ーー…可愛い…

 

途端、バクバクと煩くなる心の臓のあたりの着物を右手で鷲掴みにする。

 

見たいのに、眩しくて直視できないーーそんな愛おしい『妻』の姿。

 

詩はスッと立ち上がると、ちょこちょこ歩いて信継の前に立つ。

 

『信継様、外はお寒かったでしょう?

 

さあ、どうぞ火鉢のそばへ』

 

詩と、信継の身長差は大きい。

自分を見上げる自然な上目遣いが愛らしく、信継はゴクッと息を飲んだ。

 

ーーち…近い…

 

見下ろす詩のまつげの1本1本、青白いほど白く、透き通るような白目。キメの細かい肌、可憐な眉の毛の流れまでが見えるーー

 

『信継様?』

 

鈴を転がすような透明感のある声がーー確かに自分の名を呼ぶ。

 

小さなーー艶やかな唇。

 

ーーきれい、だ…。

 

頬が染まり、耳まで熱くなる。

 

そっと手を伸ばして、詩の髪を撫でた。

 

『ふふ…』

 

くすぐったそうに、詩は微笑む。

頬ずりするように、信継の手に、小さな手を重ねた。

 

『まあ、冷たい…』

 

詩の手が、信継の手に触れーー

 

「さっ…桜…ッ」

 

真っ赤になる信継。

詩ははにかんで、信継を見上げる。

 

ーー可愛い。

ホントにきれいだ。

これが、俺の嫁

 

俺の妻。

 

夢みたいだ。

 

桜ーー

 

ん?

 

あれ?

そういえば名前は『桜』じゃない、よな?

 

『桜』は、仁丸がつけた通称で…

 

あれ?

 

あれ?

『妻』?

 

いやいや、待て…

 

俺ーー桜とは、まだ、何もーー

 

 

 

『信継様?』

 

ーー誰だ?

待て。

 

『信継様っ』

 

ーーダメだ、まだーー邪魔するな。

 

『兄上?』

 

ーーまだーー

 

パチッと目が開くと、陣営の中、

高島一門が信継を見ていた。

 

「ん」

 

寝ていた、のか。

 

あれは、夢…

 

ガハハハっと豪快な笑い声は父である高島の殿のものだった。

 

「信継。女子の夢でも見たか」

 

信継の弟たちや家臣たちも愉快そうに笑っている。

 

他の者はもう起きていた。

戦場での仮眠とはいえいつもは気が昂り、こんなに寝入ったことなどない。

信継はバツが悪くて頭を掻いた。

 

「…かたじけない」

 

「いや、よい。

いい顔で寝ておった」

 

父である殿は息子たちを見回す。

 

「女子は男の活力。

あれを『不浄』とか言って戦の3日前から寄せ付けんなど、愚かだ」

 

家臣や息子たちは父を見て微笑む。

 

「ワシらはみな、女子の腹から生まれた。

ワシは夕べも思い切り抱いてきたぞ。

 

女子は可愛いもの。

…お前たちも存分に愛せ」

 

家臣や息子たちは真っ赤になったり笑ったりして殿を見ていた。未開拓の広大な荒野の真ん中を、荒川が流れる。

荒川は浅く幅の広い川で、雨天時には増水し容易に決壊するものの、普段はゆうに超えられる穏やかな川だ。

 

高島軍は十字型の陣営を敷き、来る沖田軍を待っていた。

知らせのあった時間より、沖田軍の到着は遅れている。

 

四方は視界が良い。火を明々と照らす。陣営に近づくものがあれば容易に発見できる。

 

深い闇夜がーー徐々に明けていく。

 

 

高島の殿と息子たち、高島軍の重臣たちは、陣営の中央、簡易に設置された建物の中で休んでいた。

 

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「では今一度」

 

高島の重臣、参謀である